皆さんこんばんは。
貝塚聖書教会の山里です。
11月ももう終盤、次の日曜日からはアドベントを迎えますね。キリスト教会としてはとても嬉しい季節で、クリスマスを機会にイエス様の事をお伝えする働き…世の中一般的には、いわゆる布教活動と呼ばれるものでしょうけれど、キリスト教会では伝道と読んでいます…にも力が入る期間でもあります。
ところが、今年はCOVID-19の問題で、教会に人を招いて伝道するという事が大変むずかしい状況になりました。特に寒くなるにつれて、ますます慎重に、丁寧に、対応する必要が増えてきていますね。本当に一刻も早くこの問題が解決されて行きますように。キリスト教会一同、心を一つにして神様にお祈りしている所です。
教会は、教会の歴史の初め、その始まりから、ともに集まる事を大事にして来ました。ナザレのイエス様が教え始めた頃、ユダヤ教の礼拝所、「会堂」と呼ばれる施設は、ギリシャ語では“シナゴーグ”と呼ばれていましたが、その語源的な意味は「ともに行く(所)」、つまり、まさしく集会所という意味でした。
現代では、宗教というと心の問題、考え方、思想・心情のひとつととらえられがちで、特に個人主義の影響も相まって、「私がそう信じていればそれでいい」となってしまいやすい風潮があるかも知れませんが、キリスト教は、さかのぼってユダヤ教の時代から、信仰を同じくする人々とともに集まる事と、神を礼拝する事とは不可分な事として捉えられていました。神様を礼拝するためにシナゴーグに集まり、同じく神様を信じる信仰者同士、お互いに「神の家族」と呼び合い、実際に家族のように支え合う事を大事にして来たわけです。
イエス様が教え始め、やがてキリスト教として確立されていくと、ともに集まる事はさらに大事な事とされて行きました。日本語に「教会」と訳されたギリシャ語のエクレーシアは、「呼び出された人々」「選ばれた人々」という意味のことばで、神様に呼び出され、選び出され、ともに集う者たちとしての性格をより一層強めていきました。
キリスト教は良く、「愛の宗教」と表現される事がありますが、考えてみれば、愛するという事は、ひとりでは出来ません。愛する相手がいて初めて成り立つものです。教会は神様の愛を頂き、神様を信じる者同士が愛を実践するところとして、ともに集まるという事がとても大事にされて来たわけです。
COVID-19の問題は、愛の実践、ともに集うという教会の本質にチャレンジを受けるような大きな出来事でした。いつもなら、クリスマスに向けて、まだ神様の愛と恵みを知らない方々にイエス様を伝え、伝道するために励む時期。でも、人を招くわけには行かない…
そんな中で、今回のクリスマス案内チラシは、人を動員するためというよりも、まず、貝塚聖書教会がここにあります、こんな感じのクリスマスのお祝いをしています、という教会紹介に焦点を当てたものに仕上がりました。教会の伝道委員の皆さんとともに、一生懸命考えて作られたチラシが、届けられた人々の目に少しでもとまって、ああ、貝塚にもキリスト教会があるんやなぁ、と気づいてもらえたら、それでまずは万々歳、ハレルヤです。
コロナの中で、できることは限られています。コロナの中で、できることからやっていこう。神様がきっと、この事にも意味があって、今は詳しくは分からなくても、いつかきっと感謝とともに気付かされる時が来る。そう期待して、クリスマスの案内を届けています。
写真は今回配布した地域のひとつ。ずいぶん久しぶり(たぶん2年ぶりくらい?)に、東山地区にやってきました。子どもたちの多い、新しい建物が建ち並ぶ地区で、遊び声にほっこりさせられます。その上に、夕焼けのきれいな晩秋の空。



