皆さんこんにちは!
貝塚聖書教会の山里です。
3回目の緊急事態宣言が出されましたね。本当にこのコロナの問題が収束しますように・・・協会委員一同、皆で心を併せて祈っています。
なかなか集まりにくい。それ以前に外出が出来ない。コロナがもたらしているこの問題は、教会にとっても本当に大きな障壁となって来ました。何しろ皆さん良くご存知の通り、教会は昔から、集っていっしょに神様を礼拝する、ということを大切にして来ましたから、集まれないなかでどうやって教会としての使命を果たしていくのかという事は、教会の本質に関わる挑戦。
なぜキリスト教の礼拝は集まるのかと言えば、これまた皆さん良くご存知の通り、キリスト教は良く、「愛の宗教」という言われ方をしますね。愛は一人では出来ません。愛し愛される相手がいて始めて成立します。そこは、ひとり黙想して修行に励み、功徳を積んで悟りを得るために努力する、という宗教観に馴染みのある方が少なくない日本、東洋の信仰心のカタチに比べると、ずいぶん違っているというか、キリスト教に特徴的な姿だろうなと思います。
もちろんキリスト教にも瞑想したり祈りに専念したりといった事はありますが、瞑想にしろ祈りにしろ、その目的は思索とか自分の内面を深堀りする、というようなものではなく、神様を思い、神様が語られた聖書のことばを吟味し、また神様が愛されている人々を思い、祈る、というもの。ですから瞑想や祈りの対象、相手がはっきりしています。何だかもやもやする自分の内面を黙想して見つめ直す、というスタイルが少なくない東洋の宗教観とは、やってる事は似てても、中身はかなり違っていて、やっぱり、「愛の宗教」と言われるだけあって、思い巡らす相手がはっきりしているわけですね。
そんなキリスト教信仰、そんなクリスチャンが形づくるキリスト教会、ですから、キリスト教会はその出発点から、集まる、という事を大切にして来たわけです。
それが、コロナで集まれない・・・これは大きなチャレンジですね。
そんな中で、インターネットの技術を使ったコミュニケーションツールの利用技術が飛躍的に上がったのも、このコロナの中で起こった出来事でした。「禍転じて福となす」というのは日本のことわざ、さらに遡れば中国の故事にちなんだ格言なんだそうです。私たちの教会、貝塚聖書教会でも、LIVE配信やオンライン会議形式での聖書研究会、祈祷会が頻繁に行われるようになりました。
さて、前置きが随分、長くなりましたが、そんなオンラインが当たり前の外出自粛期間にも、少人数ながら細々と、教会のお楽しみクラスは続けられています。いつか、コロナが収まったら、ノンクリスチャンの方々もお招きして、地域の伝道の窓口の一つになれれば良いね、という夢を持ちながら始まったフラワーアレンジメントクラス。換気を良くして、しっかりマスク着用、私語も慎みながら、それでも楽しく、お花の据え方、見せ方を教えて頂きました(私は参加してませんが・・・妻が参加しています)。
定番化してきたら、フラワーアレンジメントクラス専用のページを作っても良いかな、なんて、これまた夢を持ちつつ、今日はこのお知らせブログにて・・・コロナが収まったら、皆様もぜひ足を運んでみて下さい!














